浄光寺 札幌市北区新琴似にある浄土真宗本願寺派(西本願寺)のお寺です。
お寺は昭和5年に開基住職(浅野梅丸師)が福井県から来道し、北空知の沼田町浅野炭鉱で建立されました。浄光寺の山号には浅野算という浅野の地名がついています。
浅野炭鉱は昭和43年にエネルギー政策の転換とダムの建設に伴い閉山。現在その旧市街地、炭鉱ともほとんどが平成3年に完成した沼田ダムによってできたポロピリ湖の下に沈み、昔の様子を窺い知ることはできません。昭和52年に札幌市北区新琴似に移転 平成9年に道路拡幅のため現在地に再度移転しました。
| 昭和5年 | 開基住職(浅野梅丸師)が浅野鉱山で建立 |
|---|---|
| 昭和63年 | 浅野教信氏が2代目住職になる |
| 平成20年 | 青山直樹(法名:釋直信)が3代目住職となる |
前住職浅野教信師は、平成10年3月に龍谷大学を退職され札幌の浄光寺に戻ってこられました。 私は京都出身で前住職とは血縁関係はありませんでしたが、ご縁があって今から20年前に後継者として入寺致しました。 当初は二人だけの生活。年齢も価値観も違う二人での生活は前住職にとっては大変だったと思います。 組内寺院ご住職の紹介で妻と出会い結婚し、今度は妻も加わり3人での生活が始まりました。 やがて長男が誕生し、前住職は生まれたばかりの長男にミルクを与えたり、抱っこして上手に寝かしつけたり、とても可愛がって下さいました。 お寺からご門徒さんへの行事案内の手紙には必ず長男の成長の様子を書いて下さっていました。 血の繋がりこそありませんでしたがまさに「家族」として一緒に生活しました。時には笑い、時には大喧嘩をして「家族」になっていったと思います。
前住職は龍谷大学に入学された18歳から大学を退職される68歳まで若い学生さんと常に過ごされていましたからいつまでも気分が若く、 退職されてお寺に戻ってからも若い気分のままで運転なさり、結果として車の運転をすることができない期間が一年の半分くらいありました。 車の運転をすることができない期間中は自転車で法務に行っておられました。遠い所では札幌から小樽まで片道20キロの道のりを自転車で行かれたこともありました。 今でもご門徒さんのお宅に伺うと、「こんな遠くまで自転車で何度もお参りに来られていたよね」というお話を伺います。 また月に一度の京都での勧学寮員会議には必ず日帰りで行っておられました。始発の飛行機に乗って、最終便で帰ってこられるという生活でした。
また前住職はとても器用で人には頼らず何でも自分でされる方でしたが、一緒にお寺で暮らしているのだから少しは私たち夫婦に頼って欲しいという思いもあり、時には激しくぶつかることもありました。 未熟な私たち夫婦の中では前住職はただただ「自分」だけを依りどころとして生きておられるのだという結論に至っていました。 平成20年4月4日の夕方、私が帰宅した時、前住職の様子がおかしいことに気づきすぐに救急車を呼び病院に行きました。 検査結果は「くも膜下出血」。震える手で手術の同意書にサインし、すぐに緊急手術が始まりました。 4月4日の日中は車の運転をすることができない期間中でしたので、バスと地下鉄を乗り継いで街中に用足しに行っておられたのです。 手術は6時間にも及び、術後のお姿は今までとはまるで別人の人工呼吸器によって生かされているお姿でした。 一日一回集中治療室での面会時間があり、妻と一緒に前住職の様子を見に行きましたが、数日間は昏睡状態でした。 そんな容態のある日、集中治療室のベッドの上で前住職がお声を放っておられたのです。 「な~ま~んだ~ぶ~、な~ま~んだ~ぶ~」とゆっくり大きな声でずっと言っておられました。 それを聞いた私たち夫婦は顔を見合わせて驚きました。昏睡している時に「お念仏」を称えておられたのです。 私たち夫婦の中では前住職は「自分」だけを依りどころとして生きておられると思っていましたが、自分すら依りどころにならなくなった時に依りどころにされていたのが「お念仏」だったのです。 これはきっと前住職が集中治療室の中で私たち若夫婦に特別授業をして下さったのだと思います。それは「この世であて頼りになるものは自分ではないんだぞ。 お金や地位・名誉、家族でもなく、それはお念仏なんだぞ。直樹ちゃん、佳代ちゃん、お念仏を依りどころとしてこれから浄光寺をしっかり護っておくれよ!」 と身を持って教えて下さり、私たち夫婦に阿弥陀仏のお救いの確かさを教えて下さったのです。
その後、広島県に移られ11年間の療養生活を過ごされ、平成31年4月5日にお浄土に往生されました。時には夫婦で涙したこともありましたが、今となってはもう二度と戻らない前住職と「家族」として共に過ごした時間は私達の大切な宝物です。
最後に前住職が龍谷大学を退職されてから倒れられるまでの10年間、お寺の掲示板にはいつも同じ伝道ポスターが貼られていました。
「宗教は理屈をこねまわすことではない 日常生活に信仰の筋を一本通すことである」
これからも前住職の教え通りに「お念仏」を依りどころとして、阿弥陀様のお給仕を精一杯させていただきます。
合掌